「中川っ子」としての誇りと消えた学び舎
私は現在、松崎町民として暮らしていますが、
そのルーツを辿ればかつての「中川村」、
さらに遡れば「峰輪(みねわ)村」に辿り着きます。
1955年(昭和30年)の昭和の大合併により中川村は松崎町となりました。
私が生を受けたのは合併後のことですので、
村としての実体を知っているわけではありません。
しかし、私が子供の頃にはまだ「中川小学校」が地域の中心としてその名を留めており、
自分たちが「中川っ子」であるという気概を持って育ちました。
記憶の断片を辿ると、
現在の警察分署へと続く道のあたりに、
かつて中川中学校の古い校舎が残っていたことを思い出します。
この中学校もまた、合併前までは地域の教育を支える活気に満ちた場所だったのでしょう。
写真は現在残る小学校の校舎の一部です。

「峰輪」と「箕勾」を巡る地名のミステリー
ところで、この「峰輪」という地名について、
調べてみたところ、興味深い事実が分かりました。
どうやら「峰輪」という表記の地名は、
全国でもここ松崎町にしかない唯一無二のものらしいのです。
しかし、この地区には2つの神社が鎮座しており、
そのうちの一つが「箕勾(みのわ)神社」と呼ばれています。
ここで一つの疑問が浮かびます。「ミノワ」という地名の語源には、
河川が大きく湾曲した「水の輪」のような地形を指すという説があります。
実際に、ここ峰輪にも河川が蛇行している地形が見受けられます。
この共通点から、「かつてはこの地も『みのわ』と呼ばれていたのではないか」
という仮説が浮かび上がってきます。

史料の壁と、未来への探究心
この仮説をさらに掘り下げてみましたが、
現状では明快な答えは出ていません。
「峰を伴う輪状の地形」といった情景から生まれた純粋な新造地名(峰+輪)なのか。
あるいは、古くからあった「みのわ系」の呼称に、
後世になって「峰」という字を当てて整えたものなのか。
残念ながら、現時点ではどちらか一方を断定できるだけの史料的根拠は見つかっていません。
しかし、一つの文字や音の裏側に、
かつての先祖が見ていた風景や願いが隠されていると思うと、ロマンを感じずにはいられません。
いつか古い古文書や郷土資料を紐解き、
この「峰輪」という地名の真実に触れてみたいものです。


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